2018年08月04日
「裏日本」はかつて、表日本だった
山形県の酒田へ法事に訪れる途中、新潟県の村上駅で下車した。日程に余裕があったので特急を使わずに鈍行列車に乗りながら、たまには行ったことのないところで降りてみようと思いついたのである。
駅で自転車を借り、観光協会でマップをもらってあてもなくサイクリングをしていると、古い町屋が連なる通りに出た。これはずいぶん素敵なところではないか。名酒「〆張鶴」(しめはりつる)を生んだ土地とは知っていたが、予想以上の雰囲気だ。(氏家英男)
村上の「酒田屋」という和菓子屋
無計画に訪れたので、メインの観光スポットは空振りに終わった。日本で最初の鮭の博物館であるイヨボヤ会館は営業時間を終えており、山頂まで往復四十分ほどかかる村上城跡にも自転車を返却する都合で登ることはできなかった。
それでも、三面川(みおもてがわ)の土手を散策したり、天井の梁から数百本の塩引き鮭が下がっている店の様子を見たり、酒屋さんで人気の地酒を聞いたりするうちに、これはあらためて来るべき街だと思った。
地元の人に聞くと、見ごたえのある町屋は市民主導で再生したという。平日だったせいか、観光客らしき人影はあまり見かけなかった。実にもったいない感じがした。
通り沿いに和菓子屋があり、自転車を止めて入ってみた。店名は「酒田屋」という。老松(おいまつ)という蒸しどら焼きを買ったついでに、気まぐれに屋号の由来を聞くと、店の人から意外な答えが返ってきた。
「ここの創業者が酒田から来た人で、そこから取ったみたいですよ」
お店のホームページを見ると、創業は寛政五年(一七九三年)。初代が酒田から来て、二二〇年以上も同じ場所で商売を続けているとある。現在の店主は、十代目の酒田屋弥次衛門さんだ。大変な歴史だが、酒田とはまた何という偶然か。
北前船がつないだ日本海の港
しかし考えてみれば「村上の酒田屋」というのは、まったくの偶然ではなかった。村上市街から六~七キロほど行くと岩船という港町があり、江戸時代には北前船(きたまえぶね)の寄港地のひとつだった。
北前船とは、大阪(大坂)から瀬戸内海を抜けて、日本海側の外港に停泊しながら北海道と行き来した、いわゆる西廻り航路の貨物船のことである。
出羽の米を“天下の台所”大坂に運ぶ外海ルートとして、河村瑞賢が西廻り航路を確立したのが一六七三年。北前船は大坂から瀬戸内海を抜けて、日本海側の山陰から北陸を経て酒田と行き来していた。そのうち蝦夷地の松前や江差まで航路を延長し、昆布や鰊(にしん)なども運ぶようになった。
船は港で積荷を売りながら仕入れもしており、人やモノがダイナミックに行き来した。「動く総合商社」といわれるゆえんだ。村上の酒田屋だけでなく、大阪の人たちが大好きな昆布だしや京都の鰊そば、紅染め、東北の造り酒屋なども、寄港地間の交流が形として今に残るものである。
そういった歴史的背景を知らない人から見れば、「なぜこんな“裏日本”の辺境の港町に豊かな文化が点在しているのだろう?」と不思議に思うかもしれない。しかしそれは米国の影響下で、戦後の高度成長期に栄えた太平洋ベルト工業地帯から見た発想でしかない。
太平洋側が工業化で発展する中、日本海側との経済的格差は拡大し、「裏日本」は侮蔑的な響きを帯びるようになった。しかし近世以前の大陸や半島との交流もあわせて考えると、もともとはあちらが「表日本」だったという言い方すらできるのではないか。
「裏日本ブランド」の確立を
などと考えながら、渋谷ののんべい横丁に立ち寄ると、きょうはメニューにないお酒が入っているという。薄暗い店で黒いラベルの一升瓶に目を凝らすと、「大洋盛(たいようざかり)」の生原酒とある。村上のサイクリングで通りがかった蔵ではないか。こんなところで再会するとは。
火入れをしていない生酒独特の、フレッシュな香りと、とろっとした甘さのある、色気のあるお酒だ。別のお客がひとくち味見したあと「団地妻」という表現をして、狭い店が沸いた。いや、もうちょっと若いような気もするが、言いたいことはよく分かる。
スマホで検索すると、蔵元のホームページに商品はなく、東急百貨店のみで入手できる「BRIGHT FUTURE」という数量限定品だった。明るい未来。近くの東横店で入手してきたのだろう。これも新しい地酒のスタイルというべきか。
ところで日本列島の表裏をひっくり返すイメージは、一九九四年に富山県が作成した「環日本海・東アジア諸国図」が分かりやすい。この逆さ地図は、大陸や半島に対した日本列島の中心に、富山県が位置することを強調するために作られたという。
広大な太平洋と比べれば、日本海は湖のようなものだ。中国や韓国、北朝鮮や極東ロシアと日本は、湖のこちら岸とむこう岸。日本海を介して、さまざまなルーツを持った文化が盛んに交流してきた長い歴史があったことだろう。
重層的な文化が育まれた裏日本の港町には、きっと美味しいお酒と肴がある――。関係する観光地のみなさんは、自分の地元だけをアピールするのでなく、そんな横のつながりをもったブランディングをして、大都市圏の人たちを誘ってくれてもいいのではないか。
(著者プロフィール)
氏家英男(うじいえ・ひでお)
編集者。1967年生まれ。成城大学芸術学科卒。書籍編集、専門誌編集長、ネットニュース編集長などとして、紙とデジタルのメディア立ち上げと運営に長年携わる。父の生家が東北の地酒「上喜元」の蔵元だった影響で、日本酒に親しんで育つ。地方ならではの特産品と地酒の情報は、DANROのFacebookページ「この日本酒を呑むならこの肴」までお寄せください。
|
|